2021.08.29.sun
個性だからと
他人の個性を断じるのは
あってはならないはずだ。
それでもあるのは
なぜだろう?
人は目に見えないものに
目に見える確証が欲しい。
頭の中の実験や
見た目の推測や
書き手の類推で
相手の事を分かった気になったとしても
相手以外に発信するのは
行き場のない感情の放置プレイです。
力を持つものは
自分の力を制御する力も求められる。
ボクサーはケンカで拳を使ってはイケない。
国家資格の多くは多重関係を禁止したり
公正不偏の態度を要求されているお!
(制御するのは大変だという事だ^^)
個性はキャラとは違う。
日記とファンタジーくらい違う。
自由の使い方こそ
個性が輝いていて欲しいのだ。
ドーナツはほぼパンだが
ドーナツは穴が個性で輝いているから
むぎゅっととも共存共栄できるのだ。
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